
冬場はコソコソと、ごみ拾いしてたので目立たなかったのですけど
最近、春の気配を感じて色々、作業をやっています。
1週間、朝…って言うよりはお昼近くから夕方まで
ピッタリ公園で作業してみて、通行人の観察とか利用者とかを観察していました。
そこで意外と通行人、自転車とかの往来も多いなって思いました。
あえて、もみじ広場の前を通っているのか?は不明なんですけどね
そもそもとして、もみじ広場のライバルは直線距離で約50メートル離れた
くろまつ公園を想定していたんですよね。
くろまつ公園はトイレは無いが、広い、ベンチも多い、有料自転車貸し出しサービスもある
雑草もなく、とても綺麗と
言わば、もみじ広場には、トイレしか勝ち目や利点がない
そう思っていました。
もみじ広場に無い くろまつ公園にはある
そんな勝つ要素って言うんですかね
そんなのを探しに、くろまつ公園に行ってみて、ベンチに座ってみたんです。
結論的に言えば
とても開放感があるが、同時に何故か孤独感を感じる…
雑草もない とても綺麗
私が行った時には鳥が鳴いていたり、遊び場にしていましたけど
時間帯にもよるのか、人気(人の気配)が感じられない
とても言語化しずらく、表現が難しいのですが
何故か落ち着かない。
30分ほど観察してみましたが、利用者という利用者は犬の散歩で
犬の自由な行動に付き合っている人と、通りがかりの足腰のリハビリなのか
両手に杖のような、スキーのストックのような
くろまつ公園の入り口の石に座って小休憩した人だけでしたね。
もみじ広場は、雑草はある 虫もいる 遊具は劣化している 広くもない
完全に、くろまつ公園に勝つ要素ないのですが
もみじ広場に居ると、何故か落ち着くのです。
くろまつ公園をディスっている訳でもなく
観察すると、敢えてもみじ広場に来ている人、そういう選択をした人を見かけます。
くろまつ公園は綺麗で整っているけど、人の関与が薄いとも思います。
もう完成されていて、手入れの必要性がないって感じですね。
憩いの場の本質とは何だろう?って疑問にも通じるのですが
公園を作ったら憩いの場にはならない。
くろまつ公園と比べて、そう感じています。
正直、もみじ広場は雑然としている
綺麗でも無いし、整ってもいないが、手入れしないとダメになってしまう感がある
誰かが手入れしている感がある
そういう要素が、人を惹きつけたりするのかなぁ?
憩いの場という概念は分かるし、言うのは簡単だけど
本質的な憩いの場というのを作るのはとても難しい
多分、江戸川区が直面している問題の1つなのではないかな?
公園という器は作ったけど、憩いの場に成りえなかった
そんな公園が沢山あるのかもしれないと、漠然と感じます。
公園が憩いの場に成りえる要素、そのキーポイントとしては「自然」だと思います。
もみじ広場で作業していて思うのですが
そういうのに1番敏感なのは小さな虫ですね。
とても言語化しずらく、憩いの場を作るという事の本質とは何だ?と考えてますが
小さな虫が来なければ、そもそも鳥もこないし、人も来ない
どんなに便利な公園だとしても、あまりにも綺麗すぎると面白味がないのかもしれません

私が関わるようになる直前の公園の写真ですが
当時を振り返ると、イキイキしてなかったと思います。
何がどうして、今の状況になったのか?
具体的な説明はできないのですけど、変化はないようで変化がある

言語化できない、「雰囲気」としか言いようがないのですが
今のもみじ広場は変わりつつある、その変化の差分
つまり何がどう変わったのか具体的な説明は出来ません。



コメント